勝間田城跡(牧之原市)

 


勝間田城跡(本郭)
静岡県指定史跡
昭和58年2月22日指定
所在地
牧之原市勝田2160-1番地
 勝間田氏は、この地方を本拠地にする豪族で勝間田平三郎成長は鎌倉幕府の御家人となり、その子孫の長清は『夫木(ふぼく)和歌集』を編纂しています。
 元弘の乱(1331)には、河内(現在の大阪府)の赤坂城、千早城の攻防に一族が攻撃側と守備側の両陣営に分かれて参戦していることが記録にみられます。
 室町期に入り、将軍の直属軍として応永の乱(1399年)や永享の乱(1439年)に活躍し、応仁の乱が起こるや今川氏と対立し、今川義忠の猛攻の前に1476年(文明8年)ついに落城、一族は四散しました。一説には現在の御殿場市周辺に移り住んだと伝えられています。
 応永年間に勝間田定長が築城したと推定されているこの城は中世の代表的山城で、牧の原台地に連なる尾根を巧みに利用して曲輪、土塁、堀切が設けられ、南東部の尾根には他の城跡に例を見ない鋸状の堀切が見事に残っています。文明八年の落城後、この城が再び使われたとする記録は見当たりませんが、遺構からはその後に手が加えられた形跡が認められます。
出曲輪 三の曲輪 土塁 二の曲輪
礎石建物
自然石の平坦面を表にして据え、これに柱を立てた建物の跡です。
本郭近くの高台からの景色です。
左下に見えるのが二の曲輪と土塁です。
    

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