駿府公園・駿府城跡(静岡市)

 


巽櫓(たつみやぐら)
 駿府城は、天正13年(1585年)徳川家康公が築城し、江戸に移るまでの4年間と大御所時代と呼ばれる10年間を過ごした城です。駿府城は絢爛豪華な城として有名でしたが、惜しいことに今ではその美しい天守閣を見ることができません。しかし、平成元年に市制100周年を記念して『巽櫓』が、これに続き平成8年3月には『東御門』が日本の伝統的な木造工法により復元されました。


東御門(ひがしごもん)
 東御門は、駿府城ニノ丸の東に位置する主要な出入口でした。この門はニノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、 南および西の多門櫓で構成される桝形門です。桝形門は、要所に石落とし、 鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実践的な門で、戦国時代の面影を残しています。
 東御門の前が安藤帯刀の屋敷であったことから「帯刀(たてわき)前御門」、また、台所奉公であった松下浄慶にちなんで「浄慶(じょうけい)御門」とも呼ばれ、 主に重臣たちの出入口として利用されました。
 慶長年間に築かれた東御門は寛永12年(1635)に天守閣、本丸御殿、巽櫓などと共に焼失し、寛永15年に再建されました。
 今回の復元建物は、この寛永年間再建時の東御門・巽櫓の姿を目指し、日本の伝統的な木造工法によって復元したものです。


巽櫓南門(正門)
 巽櫓は、駿府城ニノ丸の東南角に設けられた三層ニ重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓」と呼ばれました。 駿府城にはニノ丸西南の角に「坤(ひつじさる)(未申)櫓」もありました。
 櫓は戦闘時には戦闘の拠点となり、望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目をもっていました。
 焼失後、寛永15年に再建された巽櫓は幕末近くの安政大地震によって全壊してしまったと考えられています。 全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では最も高く、“勝れた”櫓であったと言われています。


鉄砲狭間・矢狭間

石落し

徳川家康公銅像
 堀に面する土塀には、鉄砲狭間・矢狭間を設け、戦闘に備えていました。  櫓門正面上部には石落しが備えられ、櫓門大扉の防備を固めていました。  本丸跡には家康公の銅像がたっており、その横には家康公お手植えのみかんの木があります。
    

静岡市MAPへ